エンジニアの学びについての話

牛尾さんがアメリカで出会った人と日本人の学びについての違いについてブログを書かれたのを読んで、いろいろ自分についても整理してみたくなり書きました。

simplearchitect.hatenablog.com

アメリカの人は概念の説明の段階でも質問しまくるし、日本人の人は、概念ではなく具体的なものや事例を求めようとするのだ
(本文より)

「教え方」から「学び方」にシフト

私の講師スタイルが「教え方」から「学び方」に変わったのは、この「違い」というか、「理解の仕方の差」を調整したいからだと思いました。概念で捉えられるようになるには、何かの構造(仕組み)を理解できた経験も必要であるし、その理解するプロセス暗黙知のままだて、「感覚」で処理してしまいます。もちろん、掴んだ感覚は他のモノを理解する時も同じように「振る舞う」ことでその人は理解できますが、「振る舞い」を他の人が真似しても、同じような理解にたどり着く保証はないです。なぜなら、他の人もまた自分の「理解の仕方」をもっているからと推測します。また別の視点からだと「理解すること」と「同じようにできること」は別だと考えます。そこで体感を理解につなげる「ふりかえり」と「理解にかえる」ための「ふりかえり」について知っている必要があります


教える側もどんどん進化していっている

夜ちょうどエンジニアの学び方について議論をしたのですが、ある方はそこは反復による訓練というような話をされていました。おそらくは繰り返されることによって、パターンというか「勘どころ」として身に付いていくのではないかと。その意味でエンジニアがよく「パターン・ランゲージ」という形式で学ぶのも分かる気がしました。そしてそれは「応用力」として使えるものになっているのではないかと。

先日登壇した事例発表では、発表の前に事例紹介の聞き方を先に話して、発表の間あいだで持ち帰ってもらうためのファシリテートしました。

学び方は気づいていないだけとか、知らないだけなことが多いと思っているので、「理解してないね」の前を少し見てあげてみてはどうでしょうか?