関わる場の「過去」を大切にあつかうファシリテーターの視点

ありがたいことにファシリテーターの依頼を受けることは増えてきた。会社の中の大事な会議や、イベントのクロージングセッションワークショップ。どの場でも事前にお願いしてきた方の想いの確認と、可能なら、場(集まり)のいつもの状態にも参加させてもらいます。

私がファシリテーションする時間は、参加者や依頼者の過去からずっと続いている時間軸のひとつの点にすぎなくて、時間は基本、過去から未来に流れてる。だから、「続いていく」ことを前提にした上で準備する。これは私が扱う場が参加者同士が話し合うということに特化しているかもしれないです。

依頼者・関係者の想いで準備して、当日は参加者の状態・想いに寄り添い、反応する。そんな感じ。だから大抵、最後に答えを用意した場はなかったりする。時間は有限だから、その場の終わりに向けて、ファシリテーターがやることを調整しながら進める。よく聴かれるファシリテーターあるあるとしては、『用意した「問い」は使えなかった。』それでも、いっぱいいっぱいまで用意はしますけどね。(笑)

何かを学んで身につけるとか、思考や理論を時間内に各自にとって最大限に価値をだしたりとか、場と人が求めるものが違えばファシリテーションの仕方は変わることでしょう。更にファシリテーター特性もね。そういうものが、依頼する方が選択できるくらいまで普通な存在になればいいなぁ。

「どこにファシリテーターはいますか?」そんな質問をもらって、ファシリテーター系譜というものをうっすら考え始めて、少しだけ他のファシリテーターと一緒に悩んでもらっている。

今年はそこから、ファシリテーターファシリテーターを好き勝手にインタビューする集まりをやってみようかなと。そのファシリテーターが「どこ」にいるのか、ちらりと見えたらうれしいかな。(笑)