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ファシリテーターにとっての「中庸」

少し調子にのると、ちゃんと自分の驕りを正そうとする何かが起きる。

今回も、多くの方にご迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。。m(_ _)m

私にとって「中庸」はファシリテーションにも人生につながっている。

特に会社組織から切り離されて、身一つになってからの、周りからさしのべられるものに感謝しかない。

もちろん、少し先のことは不安がいっぱい転がっている。

話が飛ぶかもしれないが、お金について不安視している面は今のところあまりない状態をえられている。うまく書けないが、嫁もお金の不安については追求せずにいてくれているし、しばらく食うのには困らない程度にはなっている。先日、とある私が尊敬する女性が試みているお金についての研究について聞いて、今の状態はそれかもしれないと思う。

以下は、私が勝手に彼女から得たメッセージなので、そう言っていたかは知らないという体で、あくまで私の感覚としてよんでほしいが、お金は判断というものを狂わせるものかもしれないという考えかな。

お金に対して乱れた感覚で判断するよりも、目の前に現れたモノを、在るがままに、そして最小限のシンプルな判断で選んだものには「何か」ある。

言い方は陳腐だけど、引き寄せる感覚で選択の先がまた現れる。選択が次の選択につながる感覚。

直感は全経験値の暗黙知と、もしかしたら先祖のDNA、その選択時の周りのすべてから得たものに対する反応でしかないのかもしれない。

その時に邪で、自分だけを驕りと欲の中にいると、私の場合は、よい感じの次の選択肢になってないことが多い。

それが分かっているから、我応流ではないのかもな。謙という字に勝手に感じてるゆずる、ゆだねる感覚が優先されるのかもしれない。

と、いい感じで自分で何をいってるのか分からなくなってきたので今宵はここまで。(笑)