利害関係のない第三者という心理的安全性が透明性のある組織の対話文化が作られていくのかもしれない…という話

外部の利害関係、評価被評価の関係のない人でのメンターについての相談が増えてきています。私が関われていることの中では、ファシリテーターの弟子も、メンター、コーチング、壁打ちの壁役も、第三者であることが活きている感じがしています。これは組織の中に対話や心理的安全性について考える人たちが増えているから、増えているのではないかとも考えています。


そして、そんな外部のメンターは1つの手段であって、チームや組織に「成る」ための道の途中には、いろいろなことを試してみていいと思います。心理的安全性とか、透明性とかは、それがどんな時でも絶対というわけではなくて、状況によって、フェーズによって、透明性とか言えないこととかはあって、それはバランスだったり、両方それぞれ必要な状況、場面であったり…。

 

三者のメンターの存在そのものの話からはそれますが、安心してメンターと話すことで、「伝える」や「フィードバックの受け方」、「聞く(傾聴)」が手段の研修としてではなく、普段使いのものになっていくための段階なのかもしれないなと。