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ワークショップ知財研究会#4

今日は、とある方のつぶやきから拾ったシンポジウムに行ってきました。
「ワークショップの開発における館とアーティストの関係」というテーマ。

ワークショップというある種無形のモノに対しての知的財産を研究するシンポジウムでしたが、今回はアーティストが美術館、児童館でワークショップを行った事例を基に講演が2つ。そしてアーティストと美術館の職員によるパネルディスカッションが1つ。そして有志による茶話会。


アーティストによるワークショップの場合、ワークショップでの成果物や、ワークショップ自体のどこまでをアーティストの「作品」として扱うかどうかが、知的財産としての視点だったように感じました。


学習や体感を目的とするワークショップでは、そのワークショップの内容や仕組みそのものを知的財産と見ることができ、保護対象となるのですが、ワークショップの目的に「普及」というものが入ると、逆にその知的財産の保護が縛りになることになるという話もありました。普及と保護のバランスというよりも、ワークショップを始めた「想い」を大切にすることが大事だろうなと個人的には思いました。


1つの事例で、メディアで紹介されたワークショップが派生的に実施されていき知的財産(この場合はアーティストの作品も含め)侵害が起こってしまっているという話がありましたが、「オリジナルのワークショップの意図が正しく再生されているか?」というのも問題もあるという話が個人的には響きました。このケースでは、解決方法としてワークショップの内容と利用する教材をパッケージ化した「ワークブック」の出版という策を見出したそうです。


今年、私がDevLoveという開発者向けのコミュニティで「ダイアログ(対話)」をファシリテートしていますが、そのDevLoveでのイベントで体験した「ダイアログ」を自分でも使いたいという人と話したことがありますが、やはりその人のバックボーンから来る解釈や意思が介在すると、少し違うものになってました。その時は、対話よりも話の結果に気持ちがいっている内容を語っていたので、それは少し違うかもと話をしましたけど、ダイアログもワークブックが必要かなと思いました。 もちろんもともとは他の方が考えたモノですけどね。(^^;


今日の話では、結局のところは人と人との話になるので、人としてスジを通すことと、アーティスト(ワークショップ提案者)の想いを尊重することで、保たれるという感じで、システマチックよりもファジーであいまいな部分が残されている環境にしておくことが合っているような気がしました。

ちょっとまとめるの下手ですが、今日はこんなもんで・・・。




追伸:今日の話で知的財産を主張する話になった時に、個人的に『主張する』という行為自体に気持ちがざわつくのは、なんでなんだろう・・・ってちょっと思ってました。(^^;