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朗読劇「月光の夏」 in 下北ホール

今日の芝居は正午を告げる時報で始まった。2010年8月15日。終戦を告げてから65年の歳月を告げる。そんな意味のある時報で。


芝居のタイトルは『月光の夏』月光はベートーベン作曲のピアノ曲を指し、物語は終戦間際、とある特攻隊員が弾いた福島にある古びたグランドピアノを中心に展開する。

 佐賀県鳥栖市 − 。
 戦後45年のこの年、鳥栖小学校の古いグランドピアノが廃棄されようとしていた。


 かつて教師をしていた吉岡公子は、そのピアノに忘れられない思い出を秘めていた。そしてピアノを平和の願いの証として保存して欲しいという思いから、全校集会で生徒達にその思い出を語る・・・。


 太平洋戦争末期の昭和20年初夏、音楽学校出身の特攻隊員二人が学校に駆けつけ、今生の別れにベートーヴェンのピアノ・ソナタ「月光」を弾き、沖縄の空に出撃していった・・・。

    • パンフレットより抜粋--

4年前から同じピアニストで毎年講演されているもので、今年は叔父の薦めで観ることになった。薦めてくれた叔父と今年88歳になる祖母と今年66歳になる父、1944年生まれ、つまり終戦の前に生まれた父と共に観た。


物語の詳細はここでは書かないが、観おわった後に生まれたのは誤解を恐れずに書くならば「戦争の話を美化してはいけない」という想い。


お芝居なので、多少デフォルメや脚色された部分はあるだろうが、特攻に失敗して生き残った隊員の気持ちは実直に語られていたと思う。戦争の語られない部分、語りたくない部分。その部分を記録として客観的な見方で見てしまうと僕は「美化」してしまう。本当の想いは本人や戦争を体験した人にしか到達しえない。話の中で僕自身が「なんでだろ?」と役の行動からは心情を理解できないことや、それは悲しいと感じる結果ですら、それをしっかりと登場人物が人物の言葉として語ることで本当の意味が伝わる。悲しいのではなく、悔しかったり、罪悪感であったり・・・。そんなことをぼんやり想いながら、芝居のラストから響く月光を聴いていました。


劇中では特攻隊員だった方の遺書を読み上げるシーンがあり、三十路の涙腺はゆるいので涙がでたが、父や祖母の涙はまた違うのだろうなと余計な事を考える余裕くらいはあった。


観おわった後、叔父からもらった台本と演出やせりふの違いなんかを探してみたりして、台本のト書ではラストの月光は第一楽章と書いてあるのに全楽章弾いていて、観客の余韻がなぁ・・ などと昔学生の頃芝居をちょっとかじったいい大人が批評家ぶるなどというよくある『イタイ』行動を取りながら昼ご飯を食べた。


食後には下北沢にある87歳の祖母行きつけの喫茶店でスィーツもご馳走になり、祖母の過去に初めて触れた。


久しぶりに意味のある日に意味のあるものを観た。そんな一日。

語られていない事を知る事は大事かもしれないが、人の悲しみや苦悩を『美化』してはいけない。

豆知識
  • ベートーベンの「月光」というタイトルはベートーベンが考えたのではなく、死後ついたタイトル。