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とあるファシリテーターのとある打ち合わせ後の帰り道で考えたこと

あるがままは、手を加えても、整えても、あるがまま。

あるがままは、手を加えない、整えないのが、あるがまま。そう考えることで、自分のやれることをしない言い訳に使っている自分が居た。

もちろん、手を加えない、整えないのも、あるがまま。そのあるがままに居ることもできる。

つまりは「言い訳け」に使っていた自分のひっかかりな話。

甘えをぶつけてきたことへの凹み。

結果としては、場には逃げずに居続けるから、何も起こらないことはない。

誤解を恐れずに言えば、いかにファシリテーターが無力かは知っている。だからこそ、居続けること、向き合うことを放棄したら...。これはガオリュウファシリテーターについての骨子。

田舎も、出身地もなんとなく自分にないと感じていてアイデンティティがあやふやになりながら、転校生というアウェーに飛び込み続けてきた自分の居場所は自分で造くるという自分の「ゼロから」というアイデンティティ。ま、ホントにゼロな訳はなかったんだけどね、たぶん。

代わってもらえばいいと言われた時の苛立ちと、委ねることへの嫉妬感。さらに帰りの電車内の喧嘩沙汰に踏み込まなかったことへの自嘲。

葛藤の只中で、たどり着いたのは、誰よりも私自身が「よくないと感じる何か」をダイアログで「変えたい」と強く願っていること。人間の持つ「心」「感情」に触れるとか、見える瞬間を場に生み出したいと思っていること。

私の考えるダイアログの場は自分以外の誰かが居る場。だから、相手の思いも尊厳も持っている何かも全て含めて場の方向は出来ていき、流れるようにしか流れない。

そこすらも相手のことは相手にしか分からないのだと分かってはいるけど、ゼロから何かはあることを意識できるように、認知できる、気づけるとうれしいと思っている。

ファシリテーターが何かを生み出すことはないけど、ファシリテーターも含めた場で何かは生まれる。

ふぅ、どうにかこの言葉までたどり着いた。(笑)

走り書きだけど、家に着いても珍しく書ききるところまでやってみた。

ガオリュウに出逢った人ならなんとなく、知らない人にはなんのことやらかもしれないけど、書き留めた。

もし、なんとなくここまで読んじゃった人がいたら、ありがとう。